『多様性・包摂』アクションパネル
多様性・包摂
[10/22]パネルディスカッション
パネルディスカッションでは、モデレーターの大阪大学COデザインセンター教授のほんまなほさんから「Nothing about us without us」の「us」には誰が含まれるのか、死者など過去の声を聞くこととSDGsの本質的な相性の悪さという問題提起がされた上で議論がなされました。
特に「us」に含まれるのは誰かという問題に関しては、朴さんが「私」の物語が「私たち」の物語に取り込まれることの違和感を示し、藪中さんも親の離婚などを機に苗字が変わる子どもたちの日常世界に触れられ、特にマイノリティとされる人々の間ではそうした属性が変わりやすいことに注意が必要だと述べられた上で、土肥さんは障害者運動で「私たち」というスローガンが生まれた背景に触れられ、「私たち」とすることで個人の経験を社会の問題としても投げ返すことも可能で、様々に異なる体験をしている「私」の独自正を尊重しつつも他人と繋がっていくことを併存していくことも必要ではないかと述べられました。
ただ、岡山さんが述べられたように、困難な状況・問題に勅撰した時にどうしても「マジョリティ≒プロ」の論理が優先され、障がい者のような「マイノリティ」の声が存在しないものとして勝手に意思決定がなされる状況であったり、朴氏が紹介された戦争責任のような難しい問題を冷めた目で見てしまう大多数の人々へのいらだちにどう向き合っていくかについても今後の課題として示されました。その際にほんまさんが、ルーツや背景によってのみ繋がるのではなく、ルーツが異なっていても詩や言葉を通じて繋がろうとすることも重要であると述べられました。いのち会議の中にアートや芸術を通じて「いのち」を「感じる」というテーマが含まれていることの重要性も示唆された様に感じました。
話題提供者間のやりとりに加えて、フロアやZoomを通じた参加からも日常の中で見落とされている違和感を改めて知ることが出来たという声があがっており、生々しい体験や声を通して「多様性と包摂」というアジェンダを通して考えなければいけない問題がみえてきたように思います。過去から未来までを見通しながら、「マジョリティが考えずに済んでいる=マイノリティに負担を押しつけている」構造によって生じている課題にどう取り組んで行くのか。
居心地の悪さや座りの悪さ。理解できなさと理解しようとする姿勢。複雑で簡単に解決出来ない課題・状況は確かに存在するのだと痛感されられると同時に、だからこそ共助社会の実現に向けて交流し、話し合う場を持ち続けることが重要だと改めて考えさせられた、まさにキックオフに相応しいイベントになったと思います。
関連するミーティング:
【AP多様性・包摂】キックオフミーティング「”Nothing about us without us”が まもるいのち、きりひらく未来」
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